今年の抱負。をこねくり回す。
「2016年の抱負は、“向き合う”です。」
と、この前のコアプラスの年越し会で宣言して以来、「向き合う」ということが何なのか考えてる。
ゴロゴロ寝ながら。
なんか、年始とか誕生日とか、これからの目標を考える機会があるのだけれど。
ずーーーーーーっと、「向き合う」→「自分の欲求に素直になる」→「向き合う(もしくは大事にする)」を繰り返していることに、今年気づきました。
「向き合う」って言葉にいったい何をのっけているのやら。
相手を大事にするや向き合うと言うことは自分を犠牲にすることではない、と頭では思っているはずなのに、
このへんのバランス?が難しいらしく、そしてこだわりたいことらしい。
と、今気づいた。これ、結構大きなマイテーマなのかも。?
ちなみに、この年始宣言の向き合うは、子どもと向き合う、をイメージしてました。
大人とか子どもとか、先生とか生徒とかやなく。
ただ、「あなた」と「私」として向き合いたいなと。
私を構成するいらんフィルター(その中に「先生としての」や「大人としての」があると思うんやけど)を通さず、私として向き合う。
私の中には「先生である私」もあるし、それはそれで私なので良いと思うんやけど、「先生としての私」はいらん、みたいな。
あ、年始早々意味わからん。
もうちょっと、これ、深める。