言の葉ブログ

思考と内省のための、表現でなく表出のためのブログです。

自分がなんで教育に関わりたいのか②

①からの続き。

今も、この先も、ずっと。このときの、自分の感性を忘れたくない。

 

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きのくにを卒業し、私は地元公立校へ進学しました。
このときに感じた様々な疑問が、私の教育への問題意識が生まれた原体験です。


高校時代は、自分史上一番尖っていた時期です。
最近では、色々な人と話す中で、相手の立場や思想を考え、婉曲的な表現に変えたり、
また、自分自体の考え方も変わってきていて、
そんなに極端な表現をすることをは少なくなってきました。(少ないと、自分では思っていますが、どうでしょう。)
そういった理由で、最近ではむしろ、極端な考えや意見を言うことが出来なくなってきました。

だけど。
自分の現在の思考・思想への「足跡」をちゃんと振り返るためにも、
ここでは、少し極端な表現になっても、そのときの自分の考えや感覚をしっかりと振り返っていきたいと思います。

偏っているところ、見えていないところも多くあるかと思います。
だけど、「そのまま」を出させてください。


*   *   *   *   *


高校では、本当に毎日が驚きの連続だった。
【学校】【教師】【生徒】【授業】【学び】【教育】【ルール】【社会】【常識】
それらが、前提から全て違っていた。
『異文化』という言葉がピッタリくる。
異国の地に来た気分だった。
同じ日本語を話しているはずなのに、同じ日本で生まれ育っているはずなのに、
何を話しているのか理解が出来ないし、言葉が通じないと思った。
言葉に込められた、思いや、感覚や、思考や、価値観が。

しかも、自分以外の人間は、理解し合っているように思った。
自分にとっては『異文化』であったその環境は、そこにいた人にとっては『当たり前の世界』であった。
自分が宇宙人になってしまったような気分になった。


入学して早速行われたオリエン合宿での集団行動指導は、
集合や行進の仕方の練習を行い、
一番遅いチームは体育館の中を走るという罰が与えられるものであった。
繰り返し「○○高校生としての自覚を!」と声高に叫び続ける
生徒指導の教員に対する恐怖感により、集合・行進を繰り返す様子に、
どこか別の世界に来てしまったのだという感覚を持ったことを覚えている。
今にして思えば、入学当初は締め付けを強化している時期だったのであろう。

1ヶ月に1度は必ずある服装検査では、教員4~6人囲みで、
髪型・眉毛・ピアス・スカート丈・靴下・化粧の有無等、
それこそ頭の先から足の先まで検査されていた。
爪をチェックしてもらい、次に髪型をチェックしてもらう教員のところに行き、
次にスカート丈を…という流れはまるで、
ベルトコンベアーを流れ、優・秀・良・可・不可をつけられ出荷される商品の気持ちであった。

高校2年生から本格化する進路指導では、どこに進みたいかというよりも、
偏差値を見ての指導がなされていたし、生徒の側も偏差値を見て志望校を決めていた。
現在の偏差値から±5程度のところが進学先として有力になってくる。
自らの偏差値の10上や逆に下を志望する生徒はいなかった。

授業は、眠るための時間、もしくは話をしたり手紙交換をするための時間だった。
はじめてその授業光景を見たときは、驚いた。
だれも、授業の内容に集中していないし、教師の側もそういうものだと授業を進める。
しっかりと授業を聞き、あてられてもいないのに質問をしようものなら、
「真面目」という『マイナスの評価』を生徒から付けられる。
義務教育は中学まで。高校に進学を【決めた】ということは、
何かそれぞれに高校への意志があったのではないかと、私はそれまで思っていた。
現実は、行くのが当たり前だから、みんな進学していただけの話だった。


初めの1年、特に半年間は、本当にしんどかった。
自分の中の常識が、ガラガラと音を立てて崩れていった。
かといって、みんなの見ている『当たり前の世界』を同じように『当たり前』と見て、
その文化に染まることも出来なかった。
牢獄に囚われる夢、「1-1-13 神野有希」と自分に囚人番号が付けられる夢を見た。



そんな中で、はじめ、【敵】は自分と同じ立場にある生徒だと認識した。

具体例をあげればキリがない。
小さなことでは弁当を食べるグループが毎回固定であることから始まった。
 何でそんなにグループにこだわるのか、一人だと耐えられないのか。
 何で一人でいる子を見ると、可哀想という感情になるのか。友達探しに必死なのか。
授業への消極的な参加は、あり得ないと思った。
 来たくなければ来なければ良い。学ぶ気がないのなら何故進学を選んだのか。
 自分がそのときにその学習に興味が無いのならそれでいいけど、
真面目に学ぶ子にカッコ悪いとラベルを貼るのは何で。
アンケートや感想文での、建前の文章も気に入らなかった。
 本当はそんなこと思ってないでしょ。
教員や学校側が求めているだろう答えを書いたり発言して、何が感想文だ。
靴下27㎝まで、喫茶店・カラオケボックスへの生徒だけへの入店不可。ばれない様に。
 何でそんな時代錯誤なルールを続けるのか。変えようよ。
 服装検査のときだけ髪もくくってスカート下ろして、体育館を出た瞬間元に戻すその努力は何。
その判断基準、どうなのよ。
 正しいか正しくないか、自分が善いと思うか悪いと思うかではなく、
 褒美や罰が与えられるから、みんながしているからという判断基準が、あまりに一般的なことに落胆した。

正直に振り返ると、はじめ私は、同じ立場にある生徒を見下していた。
変化が起きたのはすぐだった。

何人かと遊びに行ったり、話をすることがあったんだけど、
生徒の多くは、学校を離れ個別で話すと自らの意見や見方を持ち、考えていた。
見下していた自分が恥ずかしくなる位、私以上に考えている子なんてたくさんいた。
だけどどういう訳か、学校へ入ってしまうと彼らは自分の本心をあまり出さずに、
授業中やホームルーム・集会・服装検査、すべてのときにおいて【生徒という役割】を演じていた。
【学校】では考えることを、自らの意思を持つことを、それを表明することを止めているように感じた。
彼らにとって、学校というのは自らのままで関わっていく場所ではないという認識があったように思う。


なんで生徒がこうなんだろう、なんで学校ではこうなるんだろう。
そう考えると、すぐに次の敵は【教師】になった。
高校時代、私は、先生が大っ嫌いだった。

授業は聞くもの、という姿勢。
ルールは守るもの、という姿勢。
高校生には高校生らしさ、中学生には中学生らしさ、という姿勢。

教員の絶対的な権威による統一。
本音と建て前を使い分ける文化、そしてそれが社会なのだという認識。
集団心理を利用した見せしめや連帯責任による教員の指導。
校則は理由の説明ができなくても決まりだから守らせる。
生徒の進路は学校のレベルに関係するからという理由で、力を入れる進路指導。

校則ひとつをとっても、その校則自体に意味があるのであれば、
教師の役割は意味を伝えるだけ、考える機会をつくるだけでいいはず。
意味の無い校則を無理やり守らせないといけないから、力でもって征服するのだ。
授業も、学ぶ内容に意味や意義を教師自身が感じていないから、力でもって前を向かせるしかない。


何で教員はこうなるんだろう。何で。
しばらく考えると、敵は【学校】と、家庭であったり【社会】というものになった。

進路の数値を上げるのは、地域や世間からの評価があるため。
自分のクラスで生徒の指導をするのは、他の先生からの評価があるため。
偏差値による進路指導も、多数の親が求めていることでもある。
生徒の出る杭を打つのは、生徒が出たことによって自分が出る杭になるのを防ぐため。

理由は何となく分かるけど、でもそれで良いの?
この人達は、何で教師という仕事をしているんだろう?


【教師】も【学校】も【世間】や【社会】も、敵だった。
嫌いだったし、恐ろしかった。

本当に、本当に嫌いだった。
ときには個人面談の時に、ときには放課後涙ながらに、自分の感情を担任の先生にぶつけ続けた。
ここでの学びはおかしい。
ここでの教育はおかしい。
なぜ、教師にとっても生徒にとっても苦役になっているのか。
そんな学びに、授業に、ルールに、一体何の意味があるのか。
なんの為に学校があって、なんの為に教育があるのか。
先生は、何も感じないんですか?
私は、おかしいと思います。

今にして思えば、担任の先生は悪い先生じゃなかった。
申し訳ないことをしてしまったなとも強く思う。


私の考え方が大きく変わったのは、その先生との話をしているときだった。
いつもは聞いていたり、うまいことやり過ごしていた先生のポロっと出た一言。



「お前は、現場の教師が、これで良いとか、何も疑問を感じずにやっていると本当に思っているんか?
理想とすることや、疑問に思うことがある中で、それでも現実の中で葛藤している教師の、
その何を知っているんか?
お前の言っていることは分かるし、ある面とても正しい正論だとも思うけど、
この学校の生徒を、教師を、学校を、一面的に否定しているように、悪だと言っているようにしか思えない。」



言った後に、言ってしまったという態度をとっていた先生の、
この本音の一言が、私はずっと忘れられない。

ああ、この人たちは、ここは、【敵】じゃなかった。
私を苦しめているように思えた【先生】や【学校】【世間】【社会】は、敵じゃなくて、
色々な繋がりの中で、関係性の中で、
それ自体が苦しみながら、そうならざるを得ないような形に、今なってしまっているんだ。


じゃあ、いったい敵はどこにいるんだ?
敵は何なんだ?

散々教師や学校を敵だと認識してきた高校の3年間。
卒業する間近に、「そうではない」と思った出来事だった。


高校時代の思索は、もう少し続く。

自分がなんで教育に関わりたいのか①

自分の文に、言葉に、感性に、思考に、元気をもらう。

そんなことがある。

ふと、出会う。

きっと、今、出会うタイミングだったのだろう。

2009年12月20日の私、ありがとう。また、がんばるよ。

 

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*   *   *   *   *


小学校の4年生から、中学を卒業するまで、私は和歌山にある
きのくに子どもの村という学校に通っていました。

「学校」といっても、とても変わっているところで、
総合学習のテーマ別でクラス分けがされている学校でした。
木工をする「工務店」、料理をする「うまいもん」、縄文時代を体験する「歴史館」など。
毎年年度の始めに、クラスの内容、他の子どもの顔、担当の大人などを見て、
どこのクラスで今年1年を過ごすかを、子どもが選択します。
だから、小学校では1~6年生、中学校では1~3年生の
完全縦割り学級になります。
詳しくはhttp://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/index.php

そんな【学校】でした。


卒業式の当日まで、竪穴式住居を建てました。
雪が吹雪く中、高原に葦を狩りに行き、休日は保護者動員で葦狩りをしました。
(大人の立てた計画や見通しがあったのですが、予想できないことも多々。)

畑で野菜を育てました。
植物を育てる上で適した土を整理する為、土の酸性アルカリ性を変える比較栽培を行い、学ぶ子がいました。
ジャガイモを育て、遺伝について学ぶ子がいました。
その子は次年度、「動植物研究所」というクラスに入り、アメーバについて研究し発表していました。

そんな【授業】でした。


ミーティングの時間がたくさんありました。
全校ミーティング・全寮ミーティング・クラスのミーティング
寮の部屋のミーティング・犬委員会のミーティング
行事委員会のミーティング・ミーティングを考える委員会でのミーティング。
週に2回は必ず、どこかで何かのミーティングがありました。

行事を開催するかどうかを決めるミーティング、
犬の名前を決めるミーティング、
イジメや盗難について話し合うミーティング、
お風呂の時間や使い方のミーティング、
来週や来学期の活動計画を立てるミーティング。

全校ミーティングでは、小学校1年生から中学校3年生まで、大人も一緒に、
250人前後が一同に集まって進めていました。
ミーティングボックスがあり、そこには誰でも議題を出すことができました。
困っていることを書く子、提案したいことを書く子。
10分で終わる議題もあれば、1学期間費やす議題もありました。

自分とは異なる人が集まっての共同生活。
ぶつかってくる主張と主張を解決するもの・折り合いをつけるもの、
それが【ルール】であり、【校則】でした。
【ルール】は、それぞれがより自由になるためのものでした。


教科学習の時間もありました。
一斉授業のスタイルで進めるものも、個別授業のスタイルで進めるものも、
教え合いのスタイルで進めるものも、ありました。
特に理科や数学は、知識が増えると、自分の世界が豊かになる感覚が強くありました。
世界の見方が、広がったり深まったりする感覚がありました。

人間の構造はどうなっているんだろう。
空は何で青いんだろう。
自分の声が、ビデオで聞くと違うのは何故。
夏と冬の日の長さや気温が違うのはなぜ。
自分と他人の認識が違うのはなぜ。何で私はこの身体の私なのか。

どこからが教科で、どこからが総合学習で、どこからが哲学か、
分からないけど、でも、
「何で?」と、「そうか!」「だからか!」そして次の「何で?」
その間にあるものが、学びだと思った。

【生きる】ということは、【学ぶ】ということだった。
【学ぶ】ということは、生きるということで、
学ぶということは、より幸せに向かうためのものだった。
そして、その行為自体も幸せで楽しいものだった。


そんな、小中学生時代を過ごしました。

中学校3年生になる頃には、子どもなんだけど、
すっかりお姉さんというか、自分の気持ちでは子どもの中の大人というか、
子どもの中の、先輩という感覚がありました。

自分よりも小さい子ども達が、
自分とは全く違う世界の切り取り方や見方をしているのを見て、
面白いな~と関心したし、
人数がいればいた分だけ、同じ経験をしても、そこから得るものに
様々な違いがあることに面白さを感じて、
そういった瞬間を見続けたい、そういった瞬間の作り手になりたい、と思って、
先生になりたいと思うようになりました。

【先生】は、子どもの学びの瞬間に立ち会えたり、
その発見や見ている世界、またその世界の変化を間近で触れさせてもらえる、
とっても幸せなお仕事だと思いました。


そして、高校進学時になり、公立校への進学を決めます。
きのくには高等部もあるのですが、自分はそこへ進んではダメだと思いました。
この環境はとても居心地がいいけど、ダメだと思いました。

自分は先生になりたいのだから、そのためには、
自分自身が、学習者として、
いわゆる一般的だと言われている「学校」の中に自分を置かなければ、
そこの世界を理解することは出来ないな、
つまり、日本で先生をすることは出来ないなと思いました。

 

ここからが、とっても大変でした。
闇の3年間の始まりです。(笑)

 

RADWIMPS

に、はまる最近。

よいですね、酔いました。

 ストロング、強い。強いよ、ストロング。

久しぶりの晩酌しゃくしゃくきゅうりミソ。しゃしゃるキューパーセント。しゃきょーでもしよかななんて。

 

最近は、お野菜めっちゃ食べててなんか偉い私。

ごはんつくって、飲んで、アテ用意して、飲んで…偉い。

偉いよ。

偉い。眠い。いね。いね? 

育ててた麦が台風でやられてショックモック。

ネコ

飼いたいなぁ。。

マンションやなぁ。

日中仕事で留守やなぁ。

 

ああ、ネコ飼いたい。

“集団”と“文化”

久しぶりに、とても苦手な講師の人に会った。話を聞いた。一時間。

たった一時間、かもしれないが、尾を引く苦痛な一時間だった。

 

それで、思ったの。

私、学級経営に熱がある人、、、ってこういうカテゴライズして、どうこう言うのもどうかとは思うんだけども、

そういう人(ラベル貼ってすみません、なんて表現してよいか分からず)苦手なことが、たまにある。

話している相手の目を見れないほどに苦手なことが、ごく稀にある。

 

よい集団を、とか、

認めあえる集団を、とか、

高め合える集団を、とか、

苦手なんですよねぇ、結構、じつは。

 

同じように聞こえるかもしれないけど、

集団の中に認めあえる文化を、とか、

集団の中に高め合える文化を、とかになると、

平気やの。

平気、というか、文化の内容によっては積極的に思ったりもする。

 

なんやろなぁ、何が違うんやろなぁ、ということを、

必死につかまえてみる。今から。

 

えーーーと、多分。

まず、集団を育てようとか、こういう集団にしたいとか、その欲求が、

なんというか、言葉を選びたいんだけど選べなくて、

ごめんなさいですが、キモチワルイ。

っていう感覚をもってしまう。私は。

それは、こういう人間に育てたいという欲求同様に、とても教育的に感じられて、キモチワルイ。

もしかすると、それ以上に、したたか?に感じられて、キモチワルイ。

 

うん、じゃあなんであなた教育にたずさわってるの、あなたもそういう欲求あるんじゃないの、と私が私のこの文を見ている誰かだったら聞きたくなる。ツッコミたくなる。

だから、教育、するのもされるのも嫌いやねん。

それは一旦おいておいて。

 

そして、きっと、私は集団を個人の集合体としてしか見ていない。

何年何組って集団は、そこに集う人たちのただの集合だ。と思う。

もっと大きなところで言えば、例えば、女性、とか、日本人、とか、大人、とか。

それは、ある面で同じ特徴や属性を持った人のただの集まり。と思う。

そこにいる(と見られる、思っている)人全体のカラーをつけることに、一種の何とも言えない不自然さを感じる。のです。

(冒頭で私自身が、それをしておきながらなんですが、、、)

 

文化、となると、そのへんと、どのへんがどう違うのか、違う、と私は捉えているのか、、、

そのへんは、また次回。がんばってつかまえる。

 

ふーーー。

おやすみ。寝れるかな。寝たいな。

酔うほどに

頭がさえるとかなんとか。

いやいや。

眠いねーーー。

 

完全に酔に任せて大胆な一歩を踏み出すこともできず、

脳内パラダイスをただことばにしてみん。とてするなり。

 

眠いねーーーーーー。

おやすみ。