言の葉ブログ

思考と内省のための、表現でなく表出のためのブログです。

ヘンリーさん①①≪“自由”について≫

※ メモのため、全文ではありません。記録できていない文章もあります。

※ 見出しと文のまとまりは、私がつけたものです。

 

 

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 今日は、“フリー”がデモクラティックスクール上にどういった意味をもっているのか、“自由”について話をしたいと思います。

 自由と言うのは、世界中のデモクラティックスクールにとってもちろんのこと大事なことになっています。一方で、怖いものにだってなりえます。自由と言うのは、必ずしも幸せなものであるとは限りません。

 

 あるTV番組を見ました。鷲が紹介されていました。2匹の子どもを鷲が生みました。より力のある赤ちゃんが弱い方の赤ちゃんを追い出し、餌を取ってしまうのです。自然はある面ワイルドで、自由と言うのは脅威でもあります。自由と聞くと人は脅威を覚えます。自由と言うのは怖いところがあります。

 とりわけ、デモクラティック教育においては、少年時代において自由に信頼を置いています。ところが、自由を与えると子どもは一線を超えることがあります。誰が強いのか見ようとするのです。これは動物にもあることです。誰がサバイブすることができるか探ろうと、遊びながらじゃれあいながら、どちらが強いか模索します。私たちは人間としてそういうことをするわけではありません。社会がそういうことをします。例えばお金。強い人間がそのルールを決める。私たちは、サマーヒルスクールでそういったことを教えようとしているわけではありません。一人が別の人を支配しようとすることが起きない、“共生”をつくろうとしています。

 

 サマーヒルにおいて、“自由”と言う単語を使います。私たちの理念の基盤です。お互いに殺しあってはいけない。それ以外は、まったく自由が子どもたちに対して与えられています。何でもしたいことの出来る自由を意味します。他の人の自由に対して何かダメージを与えることのないような自由。自分が勉強したくなければしなくてよいけど、夜中の12時にドラムをしてはいけない。他の人の自由に危害を与えない、ライセンス付きの自由です。これは、サマーヒル全体に適応されます。そして、コミュニティ的な観点も関わってきます。コミュニティ内でルールを決めることもあるかと思います。

 重要なことがあります。ある意味“統制された自由”と言い換えることができるかと思います。人間として発達について考えなくてはいけないかと思います。国会体制においてそういったものが迫害されています。自然な生きものとしての側面を失いかけているかと思います。

 サマーヒルにおいて本当に大事なことはなにか。子どもが空間を与えられていて、そして、自分自身の学習方法に準じた形で勉強することができるようになっています。“フリーダム”、“自由”と言うものがすべての基本になっています。