空。
ダライ・ラマさんとむかえる、年末年始。
そんなのもアリかも。
独立した存在の非存在。
まで、意味はわかった。
体感としても分かり、言葉と感覚が結びつく。
こういうときの文字は、自分と他者、世界の隙間を埋めてくれるものであるように感じて、好き。
あー、好きの感覚を言語化して捉えようとがんばるとキモいな。
けど、わかったと思っている時点で、ガテガテパハガテ…、の先には進めない、「ははは!」らしい。
ぎゃーてーぎゃーてはーらーぎゃーてーはらそーぎゃーてーぼーじそわかー。
空、は、無、ではない。
独立した存在の非存在。
空即是色。
色即是空。
の、世界。うん。ふにゃふにゃと指の隙間には触れて流れる感触はある世界。
在る、とは知覚できるかのような気はする、気はもてる、ような気のする世界。
からの…!
「突き詰めて考えれば、空さえも無となる、ははは!」
やばー、わからん。 ははは!って。突き放さんでや。
最終章わからん。わからんのよ。
んがー、わからんと。
こういうのが、わからん世界か。
お手上げ。わからんわ。わからん、ってこういう感覚…なのか?
高校のとき、倫理の参考書で「相依相関」という言葉、文字とであったことが、とても衝撃的で、表現は難しいけど虚無感の塊から引き上げてもらったかのような、そんな感覚を思い出したり。
今は距離感を感じたり。距離感をかんじることが、ちゃんと(?)、現世的に生きていることのように感じたり。
そのことが、今が真善美なのかどうかは、今ここにあるらしき私には分からんが。
現世を分けて存在させてる時点で、なんや残念な人やな〜、とナナメ45度の人が言ってきたり。
んー。
まんぼー。
ヘンリーさん①①≪“自由”について≫
※ メモのため、全文ではありません。記録できていない文章もあります。
※ 見出しと文のまとまりは、私がつけたものです。
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今日は、“フリー”がデモクラティックスクール上にどういった意味をもっているのか、“自由”について話をしたいと思います。
自由と言うのは、世界中のデモクラティックスクールにとってもちろんのこと大事なことになっています。一方で、怖いものにだってなりえます。自由と言うのは、必ずしも幸せなものであるとは限りません。
あるTV番組を見ました。鷲が紹介されていました。2匹の子どもを鷲が生みました。より力のある赤ちゃんが弱い方の赤ちゃんを追い出し、餌を取ってしまうのです。自然はある面ワイルドで、自由と言うのは脅威でもあります。自由と聞くと人は脅威を覚えます。自由と言うのは怖いところがあります。
とりわけ、デモクラティック教育においては、少年時代において自由に信頼を置いています。ところが、自由を与えると子どもは一線を超えることがあります。誰が強いのか見ようとするのです。これは動物にもあることです。誰がサバイブすることができるか探ろうと、遊びながらじゃれあいながら、どちらが強いか模索します。私たちは人間としてそういうことをするわけではありません。社会がそういうことをします。例えばお金。強い人間がそのルールを決める。私たちは、サマーヒルスクールでそういったことを教えようとしているわけではありません。一人が別の人を支配しようとすることが起きない、“共生”をつくろうとしています。
サマーヒルにおいて、“自由”と言う単語を使います。私たちの理念の基盤です。お互いに殺しあってはいけない。それ以外は、まったく自由が子どもたちに対して与えられています。何でもしたいことの出来る自由を意味します。他の人の自由に対して何かダメージを与えることのないような自由。自分が勉強したくなければしなくてよいけど、夜中の12時にドラムをしてはいけない。他の人の自由に危害を与えない、ライセンス付きの自由です。これは、サマーヒル全体に適応されます。そして、コミュニティ的な観点も関わってきます。コミュニティ内でルールを決めることもあるかと思います。
重要なことがあります。ある意味“統制された自由”と言い換えることができるかと思います。人間として発達について考えなくてはいけないかと思います。国会体制においてそういったものが迫害されています。自然な生きものとしての側面を失いかけているかと思います。
サマーヒルにおいて本当に大事なことはなにか。子どもが空間を与えられていて、そして、自分自身の学習方法に準じた形で勉強することができるようになっています。“フリーダム”、“自由”と言うものがすべての基本になっています。
ヘンリーさん②≪スクールミーティングについて≫
※ メモのため、全文ではありません。記録できていない文章もあります。
※ 見出しと文のまとまりは、私がつけたものです。
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スクールミーティングについて。
子どもが、自分自身の問題を自分たちで、その場で解決できることが大事です。
たとえば、小さな惑星に住んでいるところを想像してみてください。そこにトランポリンがあるとします。それは楽しい惑星だと思いますよね。一日中飛び回りますよね。そこに2人の子どもを配置したとします。これは、子どもの安全面の話をしているわけではないので安心してください。ほんのわずかな間だけ連れていきます。(笑) 「その二人の子どもが公平に遊ぶことができればいいな」と理想として思います。彼ら自身が話をして公平に協議できればよいです。しかし、現実を考えてみると、おそらく、もしかすると、一人がもう一人より力があり、長くトランポリンで遊ぶことが、自然と起こるかもしれません。このことに対して、私たちはひどい人間だと言うつもりはありません。でも、このことについて考えておく必要があります。
デモクラティックスクールでは、自分たちで決めることができます。法律、ルールをつくることができます。たとえば、サマーヒルでは、400のルールがあります。こんなの自由じゃない。ありえないですよね。(笑) ただ、大事なこととしては、これらすべてが、コミュニティ内で子どもがつくったものであるということです。
母の文字を読ませてください。【私たちは、コミュニティ内でルールをつくり、個々人の自由を守る。個々人にわかるように、シンプル化を図る。小さな子どもにとっては、とってもシンプルだから安心。トランポリンが目の前にある場合、トランポリンを使う人によってそのルールがつくられたということが大事。それが自分たちのルールであることが大事。大人が強制的につくったものではいけない。「この状況はフェアじゃない」と気づいたうえで、ルールを自分たちでつくることが大事。】
現段階でサマーヒルには多くの法律、ルールがあります。「トランポリンを使える自由はある。ただ、他に使いたい人がきたという場合、あと5分で譲らなくてはいけない」というルールがある。これは、論理的なルールだと思います。
私がトランポリンを自由に使っています。小さい子が来ます。「あと4分だよヘンリー」「あと3分だよヘンリー」「あと2分だよヘンリー!」…私の自由が奪われていくのを感じます。(笑) 小さな6歳の子に管理されているのです。大人なので、私はこんな子どもの言うこと聞かなくてもよいのではと思うこともあるのでは。(笑)
オンブズマンというのがあります。コミュニティの中の年長のメンバーがなります。コミュニティのメンバーの問題、課題、解決するための役割(?:正確な語の記録がありません)です。
私はまだ、数分間余計にトランポリンを飛んでいます。小さな子がオンブズマンを連れてきます。オンブズマンに「ヘンリーどきなさい、時間過ぎている」と言われます。私は抵抗します。
小さな6歳とオンブズマンがこう言います。「ヘンリーあなたをミーティングにかけます。」こうして規則をつくったり、問題を解決したりします。
通常ミーティングで何が行われるかと言うと、サマーヒルでは罰金を使ってこの問題を解決します。罰金というのは、「ヘンリーあなたは悪い人で私たちはあなたが好きではありません」と伝えるためのものではありません。罰金と言っていますが、24時間トランポリンを使えないという罰であることもあります。
大人から見ると簡単に問題を解決できるように見えることでも、子どもからすると重要な問題であることがあります。子どもにケーキをあげたとします。小さいケーキ、大きいケーキ。子どもは、常に自分自身に目が向いています。自己中心的、それはそれでよいと思います。大きい方を選びます。
できるだけシンプルな制度を提供してあげることが重要です。平等、対等性が担保される、「あなたは私の自由を侵しました、私にとって許されることではありません」と言える制度です。
子どもたちは自由から最大のことを得ることができます。日々の生活で起こること。それはよい。発達する中で、いけないことだと学ぶその機会が与えられていることが大事だと思います。
サマーヒルのすばらしいことは、その制度がシンプルで、いつも使われていることです。毎日新たな規則が作られ、新たな問題が起こり。子どもたち自身を守るものだという実感が持たれていることが重要だと思います。
ヘンリーさん③≪学びの側面について≫
※ メモのため、全文ではありません。記録できていない文章もあります。
※ 見出しと文のまとまりは、私がつけたものです。
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学びの側面について。
私たちにとって、選択肢があるということは、必須です。子どもたち自身が「準備ができた」と感じることが、学びにアクセスできるうえで重要です。自分自身で発見したいと思ったときに発見できる機会があります。子どもたちがベストにできるのです。大人の監督下でなく、自然の中でできるだけ多くの時間。レッスンにアクセスする必要があると子どもたち自身が感じたときに、その機会があることが重要です。そのステージが用意されていることが。もちろんこれには準備、作業が必要です。子ども時代を満たした、次の段階に移行、というのがサマーヒルにとって重要です。
私にとって自由は少し怖くもあります。人々はこの自由と言う言葉に恐れを抱いています。私自身これも理解できます。
たとえば、14歳の子どもが全くレッスンをうけず、「ASニイルの言っていることって本当に正しいの?」と質問をする人がいます。ニイルは理念があり、実践しているのがサマーヒルです。公立からすすんできた人が、それを疑問視する気持ちもわかります。
こういった会議、デモクラティックエデュケーションの動きが広まっていく中で、***(記録なし)。自由はゴジラのようなものだと言いましたが、そういう意味です。最終的には、ゴジラいい役ですよね。それがまさにサマーヒルでの自由です。